中華SF|三体

SFならだいたいおもしろいよね。

ふと思い立って去年の年末に中国語版の「三体」を読み始めた。アルファベットを使う諸外国語と違い、漢字なのでおおよその意味は掴める。読み始めたころはそれほど長くかからないだろうと高を括っていたが未だ読了せず。辞書で単語の発音を音声で確認しながら、徐々に語彙数も増やそうと思っていたのが原因たったのかも。

意味を取り違えていると困るので、途中から日本語版も並行して読み始めた。3ヶ月が過ぎたあたりでそろそろ他の本も読みたいと思い、とりあえずは日本語版で読了。とあるブログをきっかけに中国語で本を読んでみようと思ったけど、ちゃんと勉強して下地がないと原文で読むのは大変だな。中国語版は学習教材として続きはゆっくりということで。

日本語版だと出だしは中国の革命あたりからで、その時代の出来事を背景に物語が展開。中国語版ではそのあたりが中盤に登場し、回想という位置づけなのかな。中国史に詳しくない読者のために、翻訳の際に順序を入れ替えたということらしい。日本語版の第2部「科学境界」が中国語版の冒頭にあたる。

どこで読んだか忘れたけどケン・リウが英訳の際に、きちんと著者の了解を得て順序を入れ替えたとか。日本語版はそれをベースに翻訳されたんだったと思う。ケン・リウは中国SFを数多く翻訳し世界に紹介していて、彼が監修した「中国・SF・革命」も面白かった。「三体」を読んでみようと思ったのもこれを読んだことが大きかったかも。

三体はSFとしても十分楽しめるけど中国史の部分も興味深かった。中国人から見た中国史って読んだことがなかったと思う。戦中の日本でもそうだったように、体制に抑圧された人々も少なくなかったのだ。そういう人たちの声を国内でも発することができる時代になったということか。

少し前までの中国のイメージは「人民服」をみんな着ている程度だった。2年くらい前に行った上海で中国のイメージがガラッと変わった。その前に行った台湾が東京と変わらぬ都市だったのはスムーズに理解できたが、東京よりもはるかに進んだテクノロジーが街中に導入されている上海にはただ圧倒されるだけだった。

もちろん旅行する前に上海の予備知識は予習したけど、進んでいるのはとっくのような外国人と一部の中国人だけが占有するエリアだけだと勝手に思い込んでいた。一部の人どころかテクノロジーという単語とは無縁にみえる人でも、当たり前のように最新技術の恩恵を享受しているのに驚かされた。使い方がわからず戸惑っているのはぼくのような旅行者だけ。東京の「ちょっと未来」は上海の「当たり前の今日」だった。

もちろん中国全土がそうではないことが想像できる。新しく開通したばかりのバス路線に乗ったときに、乗り方に戸惑っている中国人に遭遇。他のバス路線とは違う新しいシステムが導入されていたのだが、その中国人は上海に観光に来ている別の地域の人だったようでそのシステムを知らない様子だった。日本でもそうだが一部の大都市にテクノロジーが集中していて、まだ国内全域に広がっているわけではないのだろう。

ふとあのテクノロジーに満ちた上海も「革命」に続く歴史の一部なんだよなと思った。「テクノロジー=贅沢」だった当時の中国も、スマホでなんでもできる今の中国も革命のときと同じ政府。現在の日本政府は中国政府よりも長い歴史があるのに柔軟性には差があるように感じる。社会主義か資本主義かということよりも、臨機応変に方向転換できる柔軟性の方が新しいモノを導入できる基盤になるのかも。

3回目の緊急事態宣言の出る日本と、出先でマスクを外して楽しそうに写真を撮れる中国と。小説の中で感じた中国は、当たり前に中国なんだけれども自分の住む世界とはさほどかけ離れてなかったのに、現実では大きな違いがあるんだろうな。