病院へいこう。GOTO病院4泊5日

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今の病院食って美味しいんだね。

あれは8月ごろ。しゃがんで立ち上がった瞬間、左膝に激痛。痛みに耐えながら週末を乗り切り、月曜日に行きつけの接骨院へ行くと、「半月板を痛めてるかもしれないから、大きな病院でMRIを撮ってもらったほうがいいと思う。必要なら紹介状書いてあげる」と言われ、とりあえず検査を受けることに。

紹介された大病院はひとつ隣の駅。さらに大病院の関東労災病院から来た、整形外科の名医がいることで有名。レントゲンとMRIの画像診断の結果は「半月板損傷」だった。「手術しましょう。会社休めますか?」と訊かれ、手術の概要を説明される。画像で見る限り綺麗に断裂しているので、縫合して再生を促す方針。

半月板は血管が無く自己再生しないため、半月板損傷の治療は「切断」が今までの常識。しかし近年では「再生」が主流に変化しているらしい。切断箇所を縫合して、血液で作った培養液で再生を促す手法。そのままにしておくという選択肢もあったが、いつ再発するか爆弾を抱えているよりもマシかなと思って手術を選択。手術の予約が取れたのが10月下旬で、正直まったく痛くなかったから入院の実感は皆無だったけど。

入院初日は何もすることがなく、ただひたすら時間が過ぎるのを待つのみ。入院は10歳の時の盲腸以来。あちこち探検したかったけど、コロナ予防のため必要以外に病室から出ることは禁止。持ち込んだ小説を読んだり、iPadでドラマを見たりして時間潰ししてた。唯一のイベントは夕食のみ。もっと貧弱かと思っていたけど、想定外に美味しかったし満足感もあった。鶏肉の西京味噌焼きは絶品ですらあった。

2日目は朝からシャワーを浴び、パジャマから浴衣風の衣装にお色直しし、人生初の「T字帯」を装着して手術の準備。手術室に入るまでに、写真のサイズの点滴を2本。手術台の上から天井を見ていた印象では、想像していたよりもこんじまりしてて、ドラマに出てくるギラギラ感は全然なかった。

手術室を出て麻酔がだんだん覚めてくると、左足はグルグル巻きにされアイシング状態。定期的に氷嚢の氷を入れ替えに来てくれる看護師さんに訊いたら、「夜、8時過ぎにはトイレに行っていいよ」と言われた。時間になるのを待って早速トイレに立ったが、ぐるぐる巻きの脚の痛みはあまり感じなかったな。

3日目は予定されていたリハビリで時間潰しができると期待していたが、20〜30分ほどで終わってしまった。点滴の時間も短くなっていたので、ダウンロードして持ってきたiPadの雑誌を読んで過ごす。麻酔の余韻かわりとよく寝た。

朝昼晩と3食楽しみがあったのが救い。昔は昼から肉なんて出なかったような気が。廊下にあった「今月のメニュー」を見ると、ほぼ1ヶ月の間同じメニューの出る日がない。暇な時間を豊富なメニューで紛らわす気遣いか。

4日目は日曜日でリハビリもなく、心なしか院内も閑散として静か。ノルマも午前と午後の点滴のみ。痛かったので針は抜いてもらってたから、点滴の時以外は腕が自由になった。アイシングも「寒いから時々外しててもいいよ」と言われ、ベッドから足を下ろして座れるようになった。

机に向かって「帰ったらやりたいこと」をつらつら書いたり、ネットで買い物したりしながらののんびりした時間。この日の朝食は入院中唯一のパン食だった。バターもジャムもついてないパンを、このメニューでみんなはどうやって食べるんだろう。

退院の日の朝食は非常にシンプルだった。この頃には量にも質にも胃袋が懐柔され、むしろ満腹でご飯残そうかと思ったくらい。担当医が消毒に来た時に、ぐるぐる巻きの包帯もとれた。着替えも済まし荷物もまとめ終わると、帰るまでの時間が待ち遠しい。実際、この時間が入院中一番長く感じたかも。

半月板はレントゲンに写らないため、MRIの画像で状態を推察するが、実際の状況は中を見るまでわからないらしい。僕の場合、切れている方向が重力に対し平行で、しかもめくれていたため縫合できず切除を選択したとのこと。内視鏡手術なので傷口は小さいから、手術当日から歩くことができたというわけ。

縫合再生だった場合、脚は固定されて地面にも着けないようにするため松葉杖が必須。固定具も外れるまでに3週間ほどかかる。固定具が外れても松葉杖が不要になるまでさらに1週間。どちらが良かったのかは今答えを出せないが、すでに休職届を出した期間をどうするかが当面の課題。